子どもの頃は・・・「トイレに行きたい」と恥ずかしくて言えないくらい、恥ずかしがり屋

 
小学4年生のときの担任の先生が、いろいろ励ましてくれて、学級委員や児童会の役員をやっていくなかで、少しずつ積極的になりました。 
 
一方で、まわりの人を笑わせるのは好きで、中学時代には漫才ブームもあり、テレビの漫才のオーディション番組に応募したこともあります。予選では、中学校の先生のモノマネなんかやったので、それは受けなくて、テレビ出演はできませんでした。
 
実家がある福岡県久留米市は自衛隊基地の町で、近所に自衛隊員の方が開いていた結構強い柔道道場があって、小学2年生のときから中学2年生まで柔道やっていました。小学5年と6年のときは、日本武道館でやるオープン競技会があって、東京まできて団体戦に出ました。ただ、そこでも性格がでて、師匠から「お前は素質があるのに、相手が大柄になると弱気になって、負けを選ぶ」と言われてました。 
 

中学ではバレーボールに熱中しました。

 
今でも観るのが好きで、先日も男子のオリンピック最終予選を東京体育館に観に行きました。  
 
今から考えると、社会の問題や不条理を感じるようになったのは、父親が倒れてからですね。まじめ一本の人で、高卒で食品メーカーに就職して、事務職で毎日夜遅くまで働いて、出張も多く、日曜日は疲れて寝ている。
 
その父が僕が中学3年生のときに脳梗塞で倒れて入院しました。リハビリして再起するんですが、その後も2回脳梗塞で倒れました。
 
母親ががんばってくれて、当時はあんまり不安を感じなかったんですが、ある時、兄から「俺たち、大学に行けなくなるかも知れない…」と話を聞いて、はじめて父親の死を考えたんです。そのとき、「まじめな人間が身体を壊すまで働かないと、一つの家族が成り立たない今の社会は異常だ」と考えるようになりました。
 
幸い、会社も父を切り捨てずに、若干後遺症は残ったんですが、定年まで働いて78才の今も元気です。でも、そのモヤモヤは残りました。
 

中央大学へ入学、日本共産党との出会い


そんな僕に、ずっとつきあってくれる先輩(現大月市議)がいて、本のこと、政治や社会のこと、時には恋愛の話しまで、一緒に銭湯に行き、泊まり合って朝まで話し続けました。
 
そんな中で、自分の父親のように過労で倒れる労働者があとをたたない社会の構造や、その不条理に屈しないでたたかっている人たちのことも知りるようになりました。また、人権ゼミというサークルに入って、水俣病などの公害闘争をはじめいろんな運動や人々と出会う中で、おかしいと思うことに目をつぶらない生き方や、正しいと思うことを主張する大切さを学んできました。
 
そんな経過をたどって、ようやくといいますか、その当時の自分なりの確信をもって辿り着いたのが日本共産党でした。大学2年の夏のことでした。